宮塚 英也

1964年1月16日生(長崎県生まれ)、栃木県那須塩原市在住。

アイアンマントライアスロン最高峰レース「アイアンマンハワイワールドチャンピオンシップ」において、日本人としてただ一人、夢のトップ10入りを2度に渡って成し遂げた日本最強のアイアンマン。

国内では「全日本トライアスロン宮古島大会」において初優勝の1990年以降、前人未到の4度の優勝に輝き、引退シーズンなった2002年大会ではピータークロプコ(ハンガリー)とのデットヒートの末、2位(日本人1位)に入る健闘を見せ、有終の美を飾った。

また、選手時代から「宮塚英也スポーツ研究所」を主宰。プログラム開発などに着手し、独自のトレーニング理論を確立。一般アスリートからトップ選手まで幅広いレベルのアスリートから支持を得ている。

著書には「宮塚英也の誰でも8週間でトライアスリートになれる」(ランナーズ刊)、「TRIATHLON BASIC トライアスロンを始めるための3か月プログラム」(LUMINA BOOKS)がある。

オフィシャルサイト
株式会社ハイディア 主宰
MSL 宮塚英也スポーツ研究所 所長
HT&B ハイディア・トライアスロン&バイク 主宰
  (資料 MSL宮塚英也スポーツ研究所)

 
これまでの主な活動内容・戦績
1988年 第2回日本トライアスロン選手権波崎大会 優勝
アイアンマン・ハワイ 9位
1989年 アイアンマン・ハワイ 14位
1990年 第6回全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
アイアンマン・ハワイ 11位
1991年 第7回全日本トライアスロン宮古島大会 2位
アイアンマン・ハワイ 20位
1992年 第8回全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
アイアンマン・ジャパン IN びわ湖 3位
アイアンマン・ニュージーランド 8位
アイアンマン・カナダ 4位
アイアンマン・ハワイ 12位
1993年 第9回全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
アイアンマン・ハワイ 20位
1994年 第10回全日本トライアスロン宮古島大会 2位
アイアンマン・ハワイ 10位
1995年 第11回全日本トライアスロン宮古島大会 2位
アイアンマン・ハワイ 48位
1996年 第12回全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
アイアンマン・ハワイ 28位
1997年 第2回日本ロングディスタンス選手権 優勝
アイアンマン・ランサローテ 15位
アイアンマン・ハワイ 16位
1998年 第14回全日本トライアスロン宮古島大会 6位
1999年 第15回全日本トライアスロン宮古島大会 5位
アイアンマン・スイス 9位
アイアンマン・カナダ 17位
2000年 アイアンマン・オーストラリア 6位
アイアンマン・ハワイ 18位
2001年 第17回全日本トライアスロン宮古島大会 3位
アイアンマン・レイクプラシッド 5位
2002年 第18回全日本トライアスロン宮古島大会 2位
アイアンマン・ランカウイ 7位
アイアンマン・コリア 5位
アイアンマン・ハワイ 37位
2005年 アイアンマン・ジャパン IN 五島 8位
2014年 テニアン・ターコイズブルートライアスロン 完走
南アルプストライアスロン 完走
榛名湖リゾートトライアスロン 完走
グアムトライアスロン 完走
ロタ・ブルートライアスロン 完走
2015年 テニアン・ターコイズブルートライアスロン 優勝
榛名湖リゾートトライアスロン 完走
グアムトライアスロン出場予定
ロタブルートライアスロン出場予定
 
パワーバーを使い始めた年 1992年ころ
将来の大きな目標 トライアスロンの楽しさを伝えて行き、多くのトライアスリートにトライアスロンを楽しんでもらうこと。
パワーバーの中で好きな商品
(及びフレーバー)
パワージェルの梅
トレーニングの時の使用方法 バイクライドの時に、エネルギー切れを起こしそうな時のために、いつもポケットにパワージェルを携帯し、いざと言うときにジェルを飲み、こらえる。
レースの時の使用方法 お腹がすく、すかないに関係なく、ある程度の時間おきに接収して最後まで安定したパフォーマンスを発揮できるようにしている。








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